by 中村文彦・東京大学特任教授(専門:都市交通計画)
近年、言葉の定義が若干変貌しつつあるようですが、モビリティという単語は、人々の視点での移動のしやすさ、可能性を表すのが原義です。例えば、高齢者のモビリティ確保というのは、高齢の方々のおでかけのしやすさ、外出のしやすさを充実させようというような意味になります。最近はモビリティ=移動体という意味で用いる人が増えてきているので、時々議論が混乱してしまうこともあるようです。この記事のタイトルも同様で、郊外住宅地で新しい車両を確保するという意味ではありません。むしろ、確かに新しい種類の車両を使うかもしれませんが、郊外住宅地でのおでかけのしやすさ、外出のしやすさを確保するという意味でご理解ください。因みに、新しい種類の車両のことは、モビリティ・ツール(移動の確保のための道具)、それによるサービスはモビリティ・サービスという使い方をするのが、適切と思います。とはいえ、多数派が言葉の意味を変えていくのが歴史ですので、いずれは、モビリティ=移動体という定義が中心になっていくのかもしれません。

本題に入りますが、郊外住宅地といってもいろいろな形態があり、課題も地域によって若干異なるようです。横浜市青葉区の田園都市線沿線をイメージしつつ課題を整理してみたいと思います。道幅や勾配については課題があるとはいえ、道路網はそれなりに充実し、バス路線も鉄道駅を基点に整備されていて、バスを利用する人も数多くいます。このように書くと特段の問題がないようにも思えますが、お住まいの方々は、いろいろな感触をもっていらっしゃるようです。
平日朝夕のピーク時はいいけど、それ以外の時間帯のバスの本数が少ないこと、青葉区総合庁舎へ行こうと思うとバスと電車を何回か乗り継がなければ到達できないこと、休日になると駅前の商業施設の駐車場が混雑して、局所的ではあるけれど渋滞が発生してしまうこと、自転車で移動しようとすると、歩道は走れず、車道では幅員に余裕がなく、常に交通事故のリスクと隣り合わせになって危険なこと、塾や習い事の送迎で、平日の夜間等に待機している自家用車で、これも局所的ではあるけれど道路が混雑してしまうこと、高齢化に伴い自分で自家用車を運転することが困難になることの不安、といったようにいろいろな課題が出てきます。
住宅地が未来にわたって続いていくためには、これらの課題の持続的な解決に向けて、関係する方々で知恵を出し合っていくことが求められます。前述した課題は、いくつかの観点に整理が出来ると思います。今回は、それらのうち、バスが充実していないところへのアクセスの支援といったあたりの論点を整理してみようと思います。近くにバス停がない、途中で乗り換えなくてはいけない、本数が少ない、等の困りごとに対しては、タクシーを活用することが可能です。しかし、タクシーは、バス等に比べると運賃が高いし、いつでも必ず呼べばすぐ来てくれるとも限らない点があります。

現在、あちらこちらで話題になって、実証実験のようなアプローチも見られるものに、オンデマンド交通(海外ではDemand Responsive TransportでDRTと呼びます)、ライドシェアリング、ライドヘイリング等と呼ばれるものがあります。それぞれ定義があるものの各国で少しずつ異なる使い方がされています。路線バスを高頻度に走らせるほどの利用者数はなく、また目的地も駅以外のあちこちに低密度に分散している状態では、タクシーとの役割分担を整理した上で、オンデマンド交通による対応が候補にあがります。オンデマンド交通では、地区内に乗車可能な地点が数多く定められていて、「どの地点からどの地点まで何時ごろ何人で移動したい」というリクエストを送信(あるいは電話でお伝え)することで配車がされます。地区内で多くのリクエストが来るとコンピュータがそのリクエストの束をまとめて計算して配車されます。この計算にAIを用いているのでAIオンデマンドと呼ぶようですが、昨今のChatGPTに代表される人工知能の発展に比べれば単純なもので、わざわざAIという必要はないと思います。リクエストの束を最適化して配車するというフレーズもよく使われていますが、これは、少ない車両数を前提に、誰にどれだけ我慢してもらえるかを調整しているものであって、事業者にとっても市民にとっても「最適」ではありません。

出典:横浜市青葉区東部地区オンデマンドバス実証実験 あおばGO! WEBアプリ スクリーンショット
例を示します。住民全員のリクエストを1件も断ることなく叶えるためには、リクエストが集中する時間帯にあわせて多くの車両と運転士を用意せねばならず、ものすごくコストがかかり運賃が高くなり、それでも、数多くのリクエストを1台の車両に詰め込むので、何人ものお客さんにとって遠回りになります。全てのお客さんのリクエストを最短の待ち時間で最短の乗車時間で実現するというのは、リクエストの数だけタクシーを用意するのと同じことになり膨大なコストがかかります。利用者が少ない場合はなんとかなりますが、利用希望者が多くなってしまうと、利用者に待ち時間増加、遠回り、他の人との一緒の乗車、あるいは希望日時の変更の相談等を強いているのが実態です。いつでもリクエストができるけれどすぐに乗れるとは限らないことがわかると思います。
夢を打ち砕くようですが、いつでもどこでも自由に行ける環境の実現にはコストがかかります。少し遠回りでも、少し時間がかかってもいい、複数人乗り合わせてもよい、というように条件を緩めること、コストを負担できる術をなんとか編み出す(目的地となる医療施設や商業施設にも費用支援をしてもらう等)ことで、丁寧に設計していくことが求められます。その意味で、住民と一緒に繰り返し実験を行い、システムのチューニングを丁寧に行うことが必要です。
自動運転で人件費を下げればという議論があります。技術的に自動運転の車両を走行させることは、実現可能になりつつあります。しかし、安全に走らせるためには、車両にものすごく多くのことを学ばせる必要があり、そのコストを考えると、現在の運輸事業の乗務員の給与の大幅アップをしたほうが現実的です。あと10年もするともう少し変わるかもしれません。但し、自動運転の研究成果の副産物として、安全運転支援技術は非常に高度になったので、高齢でも運転が困難でなくなる、あるいは、2種免許でなくてもバスを運転できる、という日も遠からず来ます。
以上のようなことを前提に、行政、住民、事業者等で一緒になって、いろいろな提案や挑戦、いろいろな立場からの知恵の結集を積み重ねていくことが期待されると思います。

玉川学園コミュニティバス(玉ちゃんバス) photo by 管理人